峰街道の備え・・・美麻村史(第3章中世)より
二重村の湯ノ海(ゆのかい)集落のあたりから東の山に入り、尾根伝いに北東に向かい、竹の川集落かた東方に進んで松代藩に入り、善光寺に至る間道は、ほぼ平行して千見の本村に下る梨の木の間道が有峠から北は谷に下りてしまうのに対し、尾根をたどるようで峰道とか峰街道とよばれていた。結構人の往来もあったようで、松本藩では竹の川に、松代藩では立屋に番屋を置いて、所の村人に通行人の監視をさせていた。
江戸時代以前にも、この道は警戒を要する道筋であったらしく、「信府統記」には大豆石(まめいし)と白石という、二つの物見のあったことを記している。
1.大豆石(まめいし)物見
峰街道の途中、高地の寒方地(かんぼち)へ下る道の分岐点の北東約650メートルあたりにある、標高963メートルの峰である。ここのすぐ南下方は女生山(のしょうやま)集落への下り口になっており、もとは礫岩の露頭があったのでこの名が付いたのであろう。
現在、「信府統記」に記されたような郭の配置を見ることはできないが、頂上には15×10メートルほどの郭状の平坦地となっており、その北下方にやや傾斜はあるものの狭長な郭とみられる所がある。
この物見にもっとも近い集落は、すぐ東下方の女生山(にしょうやま)と、北方約400メートルの真面(さなづら)であり、おそらくはどちらかの集落の小勢力の守る所であったと考えられる。
2.でんぎょう山物見
竹の川集落のすぐ西上方にある、標高927メートルの峰で、頂上に6×3メートルほどの平地、その東下方に10×12メートルほどの平地があり、ここが物見であろう。その北東は穏やかな広い尾根となっている。さらに東の山麓、集落の最上方に、屋敷跡とみられる平坦地があるが、あるいはここが小屋場であったかもしれない。
この地点は峰街道から外れて、千見に至る道の分岐点に近く、重要な物見であったと考えられる。
3.白石物見
竹の川のでんぎょう山物見と、大豆石物見の中間にある、標高916メートルの峰が白石物見といい、「信府統記」にも記載があるが、現在遺構は見当たらない。あるいは道路工事によって破壊されてしまったのではないかと想像する。