むかし後村上天皇康安年間、萩野城は牧之島の香坂氏の攻略するところとなった。萩野城主は村の人達から萩野様とよばれていた太田備中守である。太田備中守の奥方は安曇の清水村の生まれで女丈夫であった。愈々城が落城する前に、夫を清水村の生家まで逃がしおわると自ら城に火を放って、武具に身をかためて敵勢の中に馬をおどらせて奮戦して討死した。
 奥方は戦死する前に多くの家宝を萩野池や山中に埋めた。萩野城が灰燼(かいじん)になってから、村の人達が萩野池の前に立って、必要なお膳や、お腕を貸して戴きたいと、お願いして帰ると翌朝は池のふちに必ず並べてあった。あるとき一人の人がその貸りものをかえさなかった。するともう、どんなに必要なものをお願いしても萩野池のふちに、品物は出ていなかった。
 また萩野城が落城したあと、満月の夜池のふちにたたづんでいると、池の中から機を織る音が聞えて来た。村の人達はお姫様が池の中で機織りを続けているとおもった。
 一説には、「機を織り終えるまで、御飯を食べさせない」と継母にいじめられた娘が世をはかなんで萩野池に入水、夜な夜な池の底から機織りの音がきこえるのだともいう。

タバコ岩付近空撮 タバコ岩西広場からの北アルプス


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※玉泉寺~大安寺の地図

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